第1回目から第4回目にかけて、高度・専門医療の実際をお届けしてきました。本稿のまとめとなる今回は、私が考える人間とペットのありかたについてお伝えします。
「人間と同じような医療を動物にも受けさせたい」
私が獣医師になって16年、自分の病院を開業して12年目のこと、2011年3月の東日本大震災をきっかけに高度医療へと舵を切りました。
私の病院でも何かできないかとスタッフとともに被災地入りしました。とても言葉では言い表せないほどの東北の変わりはてた町並みを目にし、私たちは現地の獣医師の手伝いとして、ケガをしたペットたちを無償で治療したり、飼い主とはぐれてしまった犬猫たちを保護して、避難所を回り、飼い主を探す作業に明け暮れました。
その活動を通じ、一瞬にして命を奪われてしまった、たくさんの人々のことや突然普通の生活を失ってしまった、たくさんの人々の気持ちを考え、「今まで、自分はなんて中途半端だったのか」「何不自由なく生活できていることにもっと感謝すべきだ」「自分は、獣医として何ができるか」などと頭を巡りました。
数週間のボランティア活動を終えて「人間と同じような医療を動物にも受けさせたい、そして少しでも動物の命を救いたい」と決意が芽生え、獣医師として、世の中のため、動物のために何ができるかという答えが、高度医療へ舵を切るきっかけとなりました。
東日本大震災からひたすら高度医療を目指し10年。今では2つの高度医療センターを含む10軒の病院で治療を行っています。少しでも人間の医療に近づけ、少しでも動物の命を救うという当初の目標が達成されつつあるのではないかと思っています。
あらゆる世代の人々がペットを飼育できる環境を
まだまだこれから力を入れていかなければならない課題もあります。
ひとつには、ペットの適切な飼い方を拡めることです。ペットのしつけ、飼い主のマナー、適切な飼育環境、適切な繫殖や販売方法、ペットに対する社会的許容、ペット可住宅の少なさなどあげたらきりがありませんが、飼う側の土台が未熟です。
ペットの飼育には適切な飼い方やしつけを飼い主自身も学ぶ必要があります。ペットを飼うことは基本的に自由ですが、当然のことながら、ペットを迎え入れるということは、命に対しての責任がつきまとい、迎え入れるには相当な準備や覚悟が必要です。飼育環境はもちろんのこと、飼い主の心構えや正しい飼い方に対する知識も必要です。
また、少子高齢化、核家族化においてペットと暮らすことの重要性が高まる一方で、ペットと暮らせる住宅の普及も今後の課題ですし、ペットに対するネガティブなイメージが無くなる努力を飼い主もしなくてはなりません。
さらに、金銭的な余裕がない人が買うことで、適切な飼育ができず、必要なときに医療費を払えない、発展すると飼育崩壊や動物虐待に至ります。欧米ではペット税やペットを飼うことに対するさまざまなルールが法律で決められており、ペットが幸せに飼育される環境が日本よりも整っているといえます。
日本ではペット保険の加入率も極めて低いといえるため、突発的なペットの病気やケガに、金銭面で対応できないケースも見られます。将来的にはペットが100%保険に加入するような環境整備を目指すべきだと感じています。
ペット信託という、万が一、飼い主が病気や高齢でペットを飼うことができなくなったときに備えるためのサービスも少しずつ普及しています。高齢化が進む社会においてそのような不安に備える仕組みは期待されるとことです。
ペットを飼うことは私たちの生活にたくさんの恩恵を与えます。あらゆる世代の人がペットを飼えるように人と動物が共生できる社会をつくっていけたらと感じています。
幸福度やメンタル面の安定、ストレス緩和…ペットの飼育がもたらすさまざまな効果
ペットは私たちの生活のなかに溶け込んで、日常に喜びや癒しをもたらしてくれる存在です。しかし、実はペットを飼うことのメリットには、日常的な喜び以上のものがあるのです。
―子どもの思考力・理解力・判断力などがアップ
ペットを飼うことのメリットの一つに、子どもの心が豊かに育つことが挙げられます。子どもが成長する時期に家庭にペットがいると、子どもが優しく健やかに育ちます。
ペットの存在が子どもの成長にプラスの影響を及ぼすことを示した研究は数多くあり、動物と触れ合うことによって、子どもの考える能力や理解力、判断力や実行力などが発達する可能性が示唆されます。
言葉を喋らない動物との触れ合いは、共感力を生み、相手を思いやる、相手の気持ちを考えるきっかけにもなります。また、生と死を間近に学ぶチャンスでもあり、命の尊さや他者への感謝が芽生えます。
このほかにもペットがいることによって運動量が増え、肥満を防ぎ、健康に育ったり、セラピー効果からストレスに対して強くなったりするなど、子どもの成長にとって計り知れないメリットがあるのです。
―高齢者の健康寿命延伸や認知機能が向上
高齢者がペットを飼うことによって健康寿命が延びる、認知機能が向上する、あるいは自立した生活を送るなど、さまざまなプラス効果があることが知られています。
調査や研究結果によれば、ペットを飼っている人のほうが、ペットを飼っていない人に比べ、病院を受診する回数が少ないという報告や、身体的な活動度が高い、歩行速度が速い、リハビリテーションのプログラム遂行率が高いなどという研究報告もあります。
高齢者が少しでも長く自立した生活を送るには、ペットを飼うことから得られる、自分が必要とされるのを感じたり、日常で話す相手であったり、孤独感や不安を取り除く存在だったりするのが良いことなのではないでしょうか。
―高齢者施設や病院で活躍するセラピー犬
このように、ペットによるさまざまなよい効果を期待して、老人ホームなどの高齢者施設で動物によるアニマルセラピーを取り入れるケースも増えています。アニマルセラピーでは、動物と触れ合うことによってストレスの緩和や精神的な安定などの効果が期待されています。
施設に入居すると高齢者の多くは意欲や積極性などが低下し、活動量が下がるといわれていますが、アニマルセラピーで動物と触れ合うことによって、自然と笑顔が見られ、精神的に安定するなどの効果や、自然と動物に話し掛けることによって、コミュニケーションに対する興味が戻ったり、社会性が回復するなども期待されています。
老人ホームだけではなく、病院でもセラピー犬(ファシリティドッグ)が活躍しています。主には病気の子どもたちを対象に、入院している子どもたちを勇気づけ、気持ちを前向きにさせて病気に立ち向かう力をもてるようにサポートします。
このように子どもから高齢者まで動物があらゆる年代の人間を癒してくれる理由の一つに、オキシトシンやコルチゾールなどのホルモンのバランスも関わっています。オキシトシンは、別名「幸せホルモン」「癒しホルモン」と呼ばれ、幸福感やメンタル面の安定、ストレスの緩和、集中力の向上などにも関わりがあることが分かっています。
これまでの研究結果から、動物と触れ合うことによって、この幸福感を司るオキシトシンの分泌が上昇することが明らかになりました。また、ストレスで分泌が増えるコルチゾールを抑える効果もあるようです。
ペットを飼育することによるさまざまな癒し効果は、ホルモンの働きが深く関係しているのかもしれません。
飼い主のペットに対する健康志向が高まるにつれて、動物医療に対して求められることは多様化し、専門的な知識が必要とされてきています。
内科、外科、耳鼻科、眼科……と細かく診療科が分かれている人間の病院に対し、動物病院は多くの場合、1人の医師が全身すべての病気を診る「1人総合病院」状態が一般的でした。
しかし、そこから脱却し、高度医療を担う施設や専門分野に特化した病院の増加、施設間で連携し紹介しあう体制づくりなど、人間のような医療体制が求められています。
動物にも高度で専門的な知識を提供できれば、今まで救えなかった命を救うことができるからです。
本書では、グループ病院全体で年間3000件を超える手術を行うなど、動物の高度医療を目指す獣医師が、診断や治療の最前線を紹介し、ペットの「こんなとき、どうする?」という悩みにも、症状別に分かりやすく解説しています。